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2005.12.06

意志と意思

昨日の夜、相方にこう言われたのだ。
「あなたは、なにか社会に対する不安だとかを口にするよね・・」
うん、そうなのだ。

不安というより、いつも考えている。

その理由ははっきりとはしていないのだが、
芥川でもないにせよ、
「漠然とした不安」のようなものが、ずっとある。

戦中派の親に育てられたからかもしれないし、
その経験を親族から聞かされ続けたからかもしれない。
いわゆる団塊ジュニアではなくて、
その少し上の世代に属する。

とりわけ苛酷な環境に置かれたわけではないのだが、
企業は従業員を、国家は国民を、
軍隊は兵士を、教師は生徒を、
たびたび粗末にしてきたという
「雰囲気」のようなものが拭えない。
誰だって粗末にされるのはうんざりだ。

組織が個人を粗末にしがち、
昔からずっとある疑念ではある。

過去、言葉として「安売り」だとか使ってきたので、
そういうイメージでとらえてもらってもかまわない。

いわば、叩き売られる「外圧」なのか
屈して自らディスカウントしてしまう「迎合」なのか、
どちらも不満の残る居心地の悪さだ。

しかし、どうも私の感ずる実感から
「家族」という単位においては
その居心地の悪さは必要ない。
そういうパラダイムを持ち込ませないことに
社会最小単位としての家族の価値はある。

相方に問いただされて、それを改めて考えている。
#そこに意思・思念が至るきっかけをくれた相方に
 感謝しなきゃいけないな。ありがとう。

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最近「下流」というキーワードが流行のようだ。
その本を私も読んだ。

まあ、著者の言いたいことも解らないではないのだが、
(類型的にはよくあると思うが)
タイトルからして言葉使いの品の無さにはちょっとがっかりだ。
切り口はまあいいのでもう少し何とかならんかな・・。

マーケティングのターゲットとしての見方から
いわば「意志の差」のようなものが説いてあった。

前出のような
居心地の悪いプレッシャーに屈服してしまうか、
もしくはそれに乗じて「鼻持ちならない」感を演ずるか。
・・・どちらも私の意には沿わない行動だったりする。

結果論的に作られつつある、
実は「意図的な差異」としての分類、
これに負けたり乗せられたりするのは御免だ。

むしろ過去のスタイルとしての
「中流」というのも良くわからないのだが。

そして、私自身がどこに属するのかも、
よくわからない。

まっとうな「中流」とはなんぞや?
いやいや、どうやら上中下というわけではなく、
「市民」の普通さが大事なんだって、改めて痛感する。
誰かに定義してもらうのではなくて、
それが何だか自ら考え続けるのが大事かと。

必要なのは、むやみに「上を目指す」意志ではなくて、
考え続ける意思。

一介のエンジニアだってこれくらいのことは考えている。
(そして、こんなところに書くこともある)
いや、考えるのが「私らしい」としたら、
「自分らしさ」の限界など意識しなくてもいいのではないか?

市民としてのプライド、そして家庭人としての意識、
意思を持ち続けることへの意志を。
それを忘れなければいいと思っている。

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