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2006.01.15

どんど

どんど焼きの炎が夜空を染めて。
dondo
小正月の夜は更ける。

この炎の行事がどうやって生まれて伝承されたか、は
民俗学に明るいわけでもなく、よくは知らない。

ただ、伝え聞くに道祖神信仰ともつながる古いもののようだ。
そして農業や商業の行事としての意味合いもあるのだとか。
(稲わらを焼いたり、繭玉ダンゴを暖めてみたり・・)

私自身はあまり縁も無く、過ごしては来たのだが。
炎を囲んで暫し暖をとって、想いを馳せてみた。

遠い昔からなぜか伝わる民俗行事、
もはや宗教的な面持ちもあまりなく、
説教臭さも抹香臭さもなく、炎と向き合う人の気持ち。
人々の確かな存在感がそこにはあった。

ナショナリズムやノスタルジーから遠く離れて。
そこにいま生きて何かを祈るというのは、
昔も今も、自然な姿なのだろう。
ホカホカと炊き上がったダンゴをほおばりながら、夜空を見上げる。

赤々と燃える炎に様々な想いを祈念して。
honoo

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Comments

一神教ではない日本では古来
暮らしの中の、あらゆる所にジャンル別の神が存在しては
そこに係わる不安や恐怖を除外してくれる存在とされてきたですね。
同時に、富や繁栄・健康状態の改善、ひいては天候なんかまで請け負っていたもんで
日本全国の至る所に配置された八百万の神は大忙しですねぇ。

加えて個人の心の中にも姿かたちを変えて存在したようで
誰でも何気に思い浮かべる「バチが当たる」という思考は
その代表的な無意識の意識ですかねぇ。


宗教もしくは民俗学という見地で神や神事を考えると
それはまさしく抹香臭く敷居の高い複雑なハナシな訳で、私のようなシロウトが語るとエライ事になってしまいますが
結局のところ、こういった民俗行事に宿る神は特に
人々の“拠り所”という役割りを一番に担ってきたような印象ですか。


なんつって。
人から聞いた話を簡単に繋いで勝手に解釈して
いい加減なこと言っちゃいけませんが。


燃え盛る火の、ぼんやりした明るさだけを頼りに会話を交わす。普段は見せない人々の“素”が顔をのぞかせる瞬間。
どんど焼の火を囲むわずかな時間、そこは一種独特な空間です。
それこそがまさに共有と共感という、フォークロアの真髄かもです。
Now on Playは「FREE TRADING」ってことで。

っていうか、本文より長く書いてすまんす。

Posted by: mayu巻子 | 2006.01.16 01:41 AM

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