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2006.11.26

ばぶる再来なのか?

少し前のエントリーでも
「ひょっとしてバブル再来か?」と書いたのだけれど、
おおむねそんな感じのキナ臭さが漂いつつある最近。

山手線によく乗るんですが、どう見ても
スタイル違えど、かつての「バブル紳士」達と
同じ臭いのする身のこなしと会話が聞こえてくる。

求人活動も「売り手優勢」といった形で盛んなようだ。
車内の広告全部がADトレインと称して、
そういったセミナー・エージェントのものだったりして。

数日前の電車の中でも、内定者らしき若者を囲む
ほどよくヨッパラった人材担当がウジャウジャいた。
でも聞こえた話から雇用形態をよく聞けば、
これだって採るほうも採られるほうも、
テンポラリ前提で採用しているようだが。

失業率が下がったのは、無職では無くなったことを示すだけで、
何の仕事をどこまで・いつまでしたいか・させたいかは、
論議の外らしい。

しかし、そんな風情の誰もが異句同音に言っている。
かつてばぶる就職や90年代の絶頂期で味わったような感覚や
週刊誌で書かれるような金額でのビジネスについて、
「・・というようなお金は今の自分には無い」と言っているのが、
2006年初冬の姿なのであった。

そうです、今日現役で働いている私たちには、
日常でも職場でもとっくに縁遠い世界で
何か不可解な多量のお金が頭上を暴走しているだけ。
でもでも、そのおこぼれをもらおうと必死で目をギラつかせている。

そして、かつてのばぶるとは決定的に違うシステム(力学)が働いている。

かつて20年ほど前、その渦中においては
誰もその瞬間がばぶるだなんて思っていなかった。
きわめて円滑な好景気が永々と続くと、ナイーブにも信じた結果だった。

しかし、無限機関が決して実現することが無いように、
そんなことは当然無理だった。
だから、必然的に崩壊していった。

今度のは違う。
期待して、待望して、ばぶるを造っているふしがある。
#いわば、ばぶるがなんだか知ってて自作自演の確信犯。

「痛みに耐えて」打たれ強くなったと言えば聞こえが良いが
なんの、より狡猾にずる賢く、性格悪く、行こうとしてる。

かつての反省に基づいて律するのならともかく、
背負ってた負債をこの際一気消化する賭けに出てみるとか、
誰かのミスや弱体化に乗じて買い叩いてみるとか、
いずれまた終わるであろうことを前提に、
今回のばぶるを逃さず稼ぎきるつもりなのだ。

煽って稼いで吸い上げきったら、売りぬいて、さっさとオサラバさ。
勝ち組の勝ち逃げ上等、といったところだ。

あの頃のばぶるでギャンブルの味を教えられ、
その崩壊後の混乱中にブチ撒かれた「妙な」自由化は、
国民の大部分をさらにCasinoへと引っ張り込んだ。

そのCasinoで覚えたのは、
Playerより胴元が一番儲かるという、単純なロジック。
そしてルールの無効化・抜け穴や軽い無視こそが勝利への近道。

「勝ち逃げ」すなわちたとえば怪しい商法の上級位のように、
嘘で持ち上げたり、裏をかいたり、割の良い投機の胴元に近づこうとする、
(確信的)ポピュラー化したアマチュア詐欺、
それが2006年も終わりに近づき、到達した地点。

でも、もうそろそろ
そんなロジックからこそオサラバしたいんだよ、
(とっくにそんな期待値など、消え去ったのだから)
ほんとは、ね。

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通勤電車の中で眠い目を擦りながら、
頭の上にぶら下がった不動産や求人の広告を眺めながら、
同じ路線を走る銀色の車両の中で、
似たような広告が多量にぶら下がっていた、1987-8年当時を思い出す。
まだ学生だった私は、あのころ渋谷で降りて「ウォール街」という映画を見た。

主人公はこう言った。
"Greed, for lack of a better word, is good.
 Greed is right. Greed works.
 Greed clarifies, cuts through,
 and captures the essence of the evolutionary spirit."
訳)
「言葉は良くないもしれないが、強欲は善である。
 強欲は正しい。強欲は働く。
 強欲は明らかにし、道を開き、
 発展的な精神の本質を捉える。」

そしてそのうち何人かの知り合いが
映画の主人公のようにサスペンダーを付けて
金額の書かれた紙の飛び交う世界へ飛び込んでいった。

そのうちの一人は、好きだった浜田省吾の歌をよく歌っていた。
「Money Money makes me crazy
 Money Money changes everthing
 いつか奴らの 足元にBig Money 叩き付けてやる」
             (Money/Shogo Hamada)
今思えば、あれは自嘲だったのか、宣戦布告だったのか、わからないが。

そのときは僕はといえば、好きだった佐野元春の歌を歌っていた。
「仲間の一人は口を閉じて清らかに歩いている
 仲間の一人は瞳を閉じて偽りを許している
 すべてのなぜにいつでも答えを求めてたあの頃
 いつか自由になれる日をあてもなく夢見てた」
           (Wild Hearts/Motoharu"lion"Sano)
今思えば、たぶん僕は彼らに何を伝えたらいいのかわからなかったんだ。

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僕らはあの頃、何を見て
そしてあれから何を見てきたんだったっけ。

20年ほど経って。

日本橋・浜町あたりに居た彼らの行方はわからない。
かつてのメインバンクは跡形もなく消え去ってしまった。
友人の友人は苦労の果てに港区のビルに住んでいるらしい。
海外に渡った友人は、今日もクレリックシャツを着ているのだろうか。

「友達の一人は遠くサンフランシスコで仕事を見つけた
 友達の一人は手紙もなく今行方もわからない
 友達の一人は幸せなウェディング一児の父親さ
 そして同じ幻を見つめていたまるで子供のように

 すれ違いのありふれたコメディ 古ぼけた映画のポスター
 オイルにまみれたモーターバイク 瓦礫の中のゴールデンリング」
            (Rock 'n' roll night/Motoharu"lion"Sano)

古ぼけた映画の記憶と、友の追憶と、
伝え切れなかったけど何か感じていた記憶と、
どうやってでも今を何とか脅かされず煽られず働き続ける覚悟と、
すべては結局、
すれ違いのありふれたコメディのひとコマであるという達観と。

寄る歳瀬にはかなわない足の痛みをストーブの温風で揉みほぐしながら、
初冬の夜に、静やかに、脳裏に通過させてみているのだ。

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