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2008.05.04

La Folle Journée au JAPON

有楽町・東京国際フォーラムで開催されている
La Folle Journée au JAPON
「熱狂の日」音楽祭2008
行ってきました!

クラシック音楽のイベントですが、
"気取らない"、"誰でも"、"楽しく!"
そして、
"万人に本物を!"

こういうイベントが東京で開催されて、
盛況であるって、いいなぁ。

もともとフランスで始まったイベントだったのですが
数年前に日本に上陸して以来、だいぶ定着してきている。

創始者René Martinの考えは一貫している。
誰でも気軽に参加できる料金、システム、
しかし、
「一流のアーティストだけが本物の感動を伝えることが出来るから。」
演奏・演奏者のクオリティは絶対に下げない。

私も実際に聴いてきたからよくわかるけど、
初心者向けやキッズ向けに薄めたイベントでは決してなかった。

大人だって玄人だって唸っちゃうホンモノが
この低価格、気軽な設定、聴き易いプログラムで
朝から晩まで次から次へやっている。

午前中から子供をつれてやってくる母親、
学校が終わってそのまんま駆けつける学童、
勤務上がりにネクタイを緩めておとづれるオジサン、
もちろん楽しみに遠くから来ている人も、
あっちのホール、こっちのステージと回遊しながら
たまにcaféでお茶して談笑してみたり。

今年のテーマはSchubertだったんですが、
ポスターの彼の足元には水色のスニーカ(コンバース!)が。
華美な衣装も宝飾品も要りません!
普段着でどんどん楽しんで、聴きに来て!

私の一家も、子供が学校から帰ってくるのを待ち構えて
多摩から有楽町まで、普段着で行ってみましたよ。

生の演奏の本当のすごさ、空気に放たれた表現が
絶妙な色と彩を持ちえて耳に届いて、気持ちを震わす。

ちょうどムスメが楽器を触るのが楽しくってしょうがない時期なので
本物を見て聴いて楽しんで、帰りも歌って(^^)

とてもとても楽しい、こころ豊かなひと時でした。

--------
この「万人に本物を」という思想、
確かに、彼ら・フランス人が考え出しそうな
やり方なのかもしれない。

かつて、在仏時に感じた
町中で掛け値なし本物の音楽を
誰もが触れることができたという実感

東京でも具現化しつつある。
少なくとも有楽町のその区画は、そうなった。

クラシック音楽は、もはや富と階級の象徴ではない。

この極東の国ではかつて、ずっと
ステータスとしてのクラシック音楽が蔓延してきた。

一定以上の教養を受けたものの勲章として、
音楽以前に「音学」と言わんばかりの
難解であることをあえて喜ぶ修行か欺瞞として、
高価なチケットを買って身を置くことができた参加賞として。

クラシックを聴く私は、あなたより"高級"であるという
安直なスノビズムと自称選民思想の根の深い温床として。

かつて、欧州社会は厳格な階級差があると言われ、
クラシック音楽はその中から生まれたのだと"学校で"習ってきた。
その窮屈さの解消法として、前世紀からの様々の事象はあった。

しかし、階級差なき国を目指した思想や
あらかじめ階級差なき世界から始まったはずの国が
(欧州的なパラダイムから脱出して始まったはずの国が)
富という差異の上に階級を創っていくような過程の中で、
統治組織での内部的な位置を身分として強要する中で、
それを新たな世界システム・正義として押し付けていく中で。

安価であれば売りさばける市場の上で
安物偽物を悪びれもせずばら撒くような時代の中で。

片や、セレブリティ信仰のような
ポストモダンの行く末は、いつも先祖がえりだった。
人間存在を謳う団体は、個人崇拝に収斂してしまう。

ともすれば音楽は、特にクラシック音楽は
そういった権威のツールとして使われ続けてきた歴史もある。

階級差の持つ物語性のような幻想は
もう捨ててもいいんじゃないのか。
王族の富豪の貴族の名家の将軍の書記長の総裁の・・・
マンガもアニメも未だにそんな舞台装置に寄りかかっているが。

確かに、作品の表現や時代背景は
その文化的な装置の中から出たものかもしれない。

しかし、表現されて抽出されて伝承されて、
僕らの耳に届くこのいま現在、
もはや軋轢も葛藤も通過した人間の表現自身の塊として
聴こえてくる音楽そのものを楽しめるのじゃないだろうか?
みんなの一人一人の体験として。

実際にもうすでにずいぶん昔から
街角に教会に駅に広場や公園に、
開放された音楽の存在位置はありえたのだから。

音楽こそは、その本質は、
誰のものでもあって、誰のものでもない。
創った人と演奏する人への敬意がそこにあることさえ
守れれば。

今回見てきた公演の中には
中国・日本・ロシア・イタリア・ドイツ・フランス等
あらゆる国籍・背景の演奏者が一緒になって
この東京の夜に、ドイツ・オーストリアの楽曲を奏でる、
という姿があった。

その所属や主義や国威や身分なんて関係なくって、
演奏する人たちと聴く私たちの幸福な共有体験のみが
ホールの空間を満たしていた。

場の共有という、時間軸上の共通体験という、
求める価値の判断は
各人間個人に帰着するはずだと、思っているから。

僕はこの試みを支持する。
左右上下や正統・異端という殻やレッテルは
音楽にはいらない、と思うよ。

来年も、多分再来年も、行ける限り参加しようと思う。

このゴールデンウィーク期間中、5/6までやってます。
当日券もまだあるようなので、音楽好きなら、ぜひ!

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