伯父のこと。
そういえば、昨年末に急遽中京地区へ行っていたのは
伯父の葬儀があったからなのだった。
伯父は数学者で、数年前に退官して以降
別の大学へ数学(教養課程)を教えに行っていたそうだ。
学術論文データベースには
伯父の書いた論文が何本も残っていて、閲覧できる。
専門は、実は私にはちっともわからないジャンル
いわゆる抽象代数とか群論とかいうのね。
これ、ブール代数とかにも繋がっているので
後世・晩年は、実は計算機数学、
要するにHPC(スーパーコンピュータ)に
いかに演算させるかの研究に没頭していた。
だから、何の因果か甥っ子が演算素子を造る側になったことを
いちばん喜んでくれたのは、伯父であった。
#親戚一同、おいらが何屋なのかはいまだ謎みたいで・・。
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伯父は酒が好きで、遊びに来て酔っ払うとよく数学を教えてくれた。
これがまた難しいのだが・・。「こんなのもわからないか?」
・・・ええ、高校生に群論は早すぎますって。
逆に、酔っ払っているせいもあって、計算はよく間違える。
「伯父さん、数学者なのに計算苦手なのかい?」
そこで言ったことが、生涯忘れられない。
「数学者だって計算は間違えるよ、人間だから。
わたしだってお釣りはよく間違える。
与えられた計算なら間違なく坦々とこなしてくれるのは計算機だ。
でもその機械にどういった計算をさせるかを教えるのは
数学の仕組みを理解している人間の役目だ。
人が思いつく仕組みをきちんと書下せば計算機はあっというまに
正確な答えを出す、だから計算機は有益な道具だ。
でも出したその答えが妥当なものかわかるのも、
また数学を理解した人間にしかできないことだ。
出てきた計算の結果から、思わぬ発見もある。
それを見つけられるのも、人間の力だ」
コンピュータはまだまだ万能の箱かもしれないと感じていた少年には
結局は優れた道具を人間がどう使うかで決まると言い切った
伯父の言葉には深く感銘を受けたし、
その後の私の思考にも大きく影響があった。
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伯父のもうひとつ大きな印象は
音楽好きであったことだ。
いや、我が家にはなぜだか音楽好きの家風が
今もいろいろな形で現れているのだが。
葬儀の祭壇に、愛聴していたマリア・カラスのLP盤が供えてあった。
イタリアオペラの一部が特に好きだったようで、
ヴェルディとプッチーニが大好き、
ワーグナーは臭くて好かん、と言っていた。
古い実家に遊びに来ると酔った勢いで自慢のテノールを披露しては
祖母にたしなめられていたのを目撃している。
「そんな高い声で歌うからヌカミソが酸っぱくなるじゃないか!」
・・なるのかわからないが、なんとなく雰囲気はわかる(笑)
天国では、どれだけ歌ってももうたしなめるものもないだろう、
祖母も「まーた飲んで歌ってるよ」と笑ってくれるだろう。
美味しいお酒と美味しい料理、そして美しい歌。
そのお酒が伯父の寿命を縮めてしまったのは事実なのだが、
数式にも美はある、と言っていた伯父らしい生涯だったと思う。
ご冥福をお祈りすると共に、
残していってくれたあの言葉たちは、生涯忘れないよ。
いままでありがとう。
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